男の性行動を分析する

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男にとっての動物的なセックスとは何か?

前の記事で考えたように、動物的なセックスとは、無意識のうちに埋め込まれた性的な規範を全て取り払って行うセックスだ。女の場合、純粋な快感から始まる。

 

Yahoo知恵袋でも、セックスで何度もイケる女の場合、「彼のセックスに満足できなくて別れようか迷っている。こんなセックスでは嫌いになりそう」みたいな質問をしばしば見かける。女では、快感から始まる愛があるのだ。

 

一方、男にとっての動物的なセックスとは何だろう?

 

一般的な男の性欲とは、排泄欲だ。「ムラムラして射精したい。女の中に出したい。」という欲求に尽きる。

 

しかし、結婚がセックスの契りとなった現代では、男の欲求を満たすことは難しい。見慣れた妻の姿には、当然興奮しなくなる。実際、近代以前では、妻や母は「地女」と呼ばれ、性愛の下位におかれた。快楽は遊女に求めるものだった。井原西鶴による「好色一代男」の回想記では、「54歳の今日に至るまで戯れし女、3,742人、手にかけし若衆、725人」と数字が出てくる(当時は、女色男色の両刀使いの時代であった)。

 

結婚と関係なく、これだけ自由にセックスできる時代であれば、男の性欲はいくらでも満たされただろう。現代では、罪悪感にかられながら、セフレを作るか、性風俗に行くしかない。

 

「好色一代記」において、性愛が、回数という「数字」で表現される点が面白いことを、上野千鶴子は指摘する。実際、ほとんどの男は、やった相手を数える。このような状況では、「男の快楽は同質である」ことが前提となっている。一種の規格化と匿名化が行われている。毎回快感の質が違ったら、比べたり、数えたりしても意味がない。

 

快楽が同質であれば、排泄欲としての動物的なセックスは、排泄した女の数で表現できる。

 

 

一方で、快楽が同質でない場合もあるだろう。典型はドライオーガズムだ。

 

M性感では、アナル刺激でドライオーガズムを体験する男性も多いようだ。ずっと痙攣してイキ続けるという話もよく聞く。おそらく、このような場合、相手の風俗嬢の手技や相性に大きく依存し、快感も個別性を持って体験されるのではないかと想像する。

 

「あの時の快感が一番良かった」とか、「あの時は、何分位、どんな風にイキ続けた」とか語られるのだろう。イカせてもらえる風俗嬢に出会ったら、通い続けることもありうる。男でも、快感から始まる愛に近い。

 

ただ、一方的に女にアナルを攻めてもらうだけでは、男女共に動物的に快感を感じることは難しい。射精はもちろんセックスを終わらせる快感だ。セックスの最中に、男が動物的になることはできるのか。

 

森岡正博は次のように書く。「勃起したときには、なんとも言えない充実感が体の内側 にみなぎってくる。ペニスを女の体の中へ入れたいという衝動が満ちてくる。男であることを勝ち誇る気分さえあるかもしれない。」

 

しかし、さらに快感を高めようと刺激すると、通常すぐ射精して終わってしまう。気持ちよさに留まれない。

 

射精コントロールは一つの解決法だろう。いくら刺激されても全く射精しないことに慣れれば、喘いで気持ち良い状態にずっと留まれる。頭がおかしくなるほど気持ちよく、無心で気持ちよさを感じている。この状態が「動物的なセックス」に近いのではないかと思う。もし無射精でイケば、何回イッても勃起が収まることもなく、体力が続く限りセックスできる。

 

電マで裏筋を刺激し続けても、この状態に近い所までは行く。しかし、パートナーからの刺激が最高だ。自分では予想できない刺激が来る。刺激は全身から入ってくる。セックスの雰囲気や流れ次第で、快感が大きく高まる。オナニーでは、決して「頭がおかしくなるほど気持ち良い状態」には入れない。

 

ASKAが虜になった、覚醒剤を使ったセックス、キメセクとはこのような状態の延長なのだろうか、、、

 

男が、このような「動物的なセックス」をする上で一番の障壁は、「セックスとは男が女を攻めるものだ」という性的な規範であろう。上野千鶴子が言うように、主体である男からは快楽が剥奪される。客体である女が「感じる姿」を見ることからしか、男は快楽を得ることができない。

 

それで多くの男は、必死に「女が感じる(イク)姿」に快感を求めようとする。Yahoo知恵袋で、男たちはこぞって「女が感じる姿を見るのが幸せ」と語っている。イメージとしての性的欲望なら理解できる。しかし実際のセックスとして、見慣れた女が感じている姿を何度も見せられて興奮するだろうか。頭が冷静ならば、冷ややかに見るだけだ。「女が感じる姿を見ることが男の幸せ」と思い込まされた思考そのものが、現代の性的な規範に作られた虚構の快感なのだ。

 

現代の性的な規範においては、男は「自分が客体になる」ことが想像できない。女も「自分が主体になる」ことが想像できない。当然だ。セックスで、女が男のペニスや乳首を攻めるだけで、ドライオーガズムに達しさせるなんてどこにも書いてない。男が女に攻められて失神するなんて誰も信じない。AVでは常に男が女をイカせる。現代の性的な規範に囚われる限り、男が「動物的なセックス」を体験することはできないのだ。

 

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