男の性行動を分析する

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女が鏡を見ながらオナニーする心理

女のオナニー動画の中には、しばしば鏡を使ってオナニーする者がいる。見ているのは、鏡の中の「自分の裸体」や「性器」である。男である自分は、当然、鏡を使うことはない。なぜ女は鏡を見ながらオナニーするのだろう。この疑問に対する答えが、上野千鶴子「スカートの下の劇場」に書いてある。



本書において、上野千鶴子は、性における能動的な主体が男であり、受動的な客体が女であると説明する。言い方を変えれば、男は、性的な欲望の対象として女を見る。一方、女は、性的欲望を持った他者の目に映った姿として、自分の身体イメージを獲得する。

 

確かに私自身、街でセクシーな女性を見かけると、自分の意図に関わらず、目が釘付けになる。自分では、女の姿を意識したくないし、胸がドキドキするのも不快だ。しかし、女を性的な対象として見ることが避けられない。これが、男の身体なのだ。

 


女は「性的な客体」として身体イメージを獲得するため、女の性的なファンタジーにおいて、性的な視線を受ける対象は、必ず自分の身体なのである。自分以外の女や、好きな男の身体が中心に来ることはない。自分の身体を、他者の欲望の視線が取り囲む。



この構図を、上野千鶴子はうまく描いている。



「鏡張りの部屋があって、その部屋の鏡にあたるのは、男の視線であり、中にいるのは女である。女がぱちっと目を開けてみると、鏡の中に自分が映っている。



これこそが、鏡を使ってオナニーする女の姿である。「鏡の中の自分」を見る視線は、性的な欲望を持つ「男の視線」である。一方、鏡の中に映っている自分は、性的な欲望の対象として視線を浴びている自己像なのだ。男たちが自分を取り囲んで、女の裸体に欲望の視線を浴びせかけている。その中心にいる自分に興奮しているのだ。



次の疑問は、なぜオナニーする女は、鏡の中の自分の性器を見るのだろうか。鏡の構図においては、もちろん、欲望を持った男たちの視線の先にあるものは、自分の性器である。それでは、女にとっての性器とは何であろうか。

 


上野千鶴子は、女にとっての性器とは「完全な他者である」と書く。男にとっての性器は、自分勝手に勃起して、コントロールできない厄介者だ。でも、多くの男が、自分の性器を「ジュニアや、息子」と呼ぶように、自分の一部である。一方、女にとっての性器とは、「自分のものではない」という意味で他者である。自分のものとは考えたくない代物だ。



女は、自分の性器に対して「醜くて汚いものだ。そういう汚いものを男に見せたくない」という感情を持っている。恥ずかしいというだけではなくて、汚いものを見られて、嫌われたくない。「あんなきれいな顔をした女の子に、こんな汚い気持ち悪いものがついている」というふうに思われるのが嫌なのだ。そのような意味で、他者なのである。

 


一方で、男の子は、女性器を見ることに強いファンタジーを持つ。そしてポルノにおいて、女性器は美化されてきた。アメリカでは、性器を見せるプッシー女優が登場した。プッシー女優の基準として、色が黒ずんでいないこと、エプロン(大陰唇)が醜く大きくないことなどの、理想的な女性器像が作られた。そして女性器は、見るに耐える、美しいものへと転換した。まさに男の子がファンタジーの中で美化する女性器像である。

 


このような理想的な女性器の出現は、多くの女に悩みを生み出した。自分の性器が、理想的な形をしていないというわけだ。セックスの時に女が部屋を暗くするのは、醜い部分を見られたくないからである。女にとって女性器とは、醜くて、見られたくない身体の一部である。その性器に対して、欲望を持った男の視線が注がれる。この状況に興奮しているのだ。

 


本書における上野千鶴子の説明をまとめると、上記のような解説になる。私は女でないので真偽は不明だが、十分に説得力のある解説だ。

 


本書で上野千鶴子は続ける。現在は、女の欲望にとって「男に見られる」ことが不可欠だが、将来は、おそらく見られることも必要なくなるだろうと。つまり、性的な欲望が、男を媒介しなくても、満たされるようになると。人格や肉体のパーツとして欲望を満たせば良い。この点で、男性化が進むだろうと言う。



実際、男のオナニーに、欲望の対象としての女は必要ない。エロ動画を使ったオナニーでは、象徴的なイメージに興奮しているだけだ。イメージすら持たずに、ただ快感そのものを目的に射精する場合もあるだろう。ムラムラするのをスッキリさせるのは典型だ。また、私が無射精でイク場合は、絶頂感そのものが目的だ。これが、性的な欲望がパーツ化した結果だ。男に続いて、女もそうなるだろうと上野千鶴子は言う。

 

本書にあるように「この辺が痒いから掻いておこう」とか「ちょっとお腹減ったからハンバーガー食べよう」と同じように、「ちょっと絶頂感を得たいからオナニーしよう」となるわけだ。ストレス発散やリラックスのために、絶頂感そのものが目的となる。そうなれば、女の性的欲望において「男の視線」は、もはや必要ない。鏡を使ったオナニーはなくなるだろう。

 

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