男の性行動を分析する

男って何? 男の性行動を分析します

「性行為に挿入が不要」ならば、異性愛は要らない?

だいぶ前になるが、勝間和代さんが同性愛をカミングアウトとした。

www.buzzfeed.com

 

私にとっては、同性愛は想像できないが、関連して、別のはてなブログの記事で、同性愛と性行為について興味深い考察を見つけた。

 

ブログ著者の「ニャート」さんによると、「性行為に挿入は要らない」とのこと。

 

nyaaat.hatenablog.com

 

 

以下、記事を引用する。

 

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私が「挿入は要らない」と思うのは、男性との性行為は「挿入=男性が達すること」が終わるまで終わらない、男性メインの不自由さが嫌だからだ。

挿入のたびに、自分が「個体」ではなく「女体」に過ぎないと思えてしまう。
自分が、男性が達するための入れ物に過ぎないと思えてしまう。

・・・(略)

そして、「挿入しないと終わらない男性が愛しい、気持ちよく終わらせてあげたい」と思えない時点で、やはり私は異性を性的に愛していないのだろう。

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こうした状況の中「ニャート」さんは、夫のクレジットカードの明細に、1ヶ月で50万円の支払が記されていることを知る。夫は週3日は風俗に通っており、50万円の支払は複数の性的サービスへの合算であった。

 

「ニャート」さん曰く、

 

「私は、無意識下の異性愛への違和感に気づかないまま結婚し、結果として、夫を性的サービスに大金を払わなければならないほど追いつめてしまった。」

 

・・・

 

「ニャート」さんの気持ちは十分なに理解できる。男性の一方的な性行為が苦痛であれば、女性側のレスの原因となるだろう。

 

しかし、私は、この記事を読んで、なんとも言えない違和感を感じた。挿入に対して、男性だけが満足する一方的な行為であるかのような。そして言いようもない哀しみであろうか。

 

それを端的に感じたのは、まず下の文章だ。

 

「男性との性行為は挿入=男性が達すること」が終わるまで終わらない、男性メインの不自由さが嫌だからだ。」

 

そもそも「挿入=男性が達すること」が終わるまで性行為が終わらないことで不自由さを感じるのは、女性だけだろうか?

 

私にとって、性行為における「挿入=男性が達すること」は、面倒な義務としか思えない。男性に課せられた不自由さでもあるのだ。

 

先に引用した「ニャート」さんの言葉をもう一度書く。

 

「そして、「挿入しないと終わらない男性が愛しい、気持ちよく終わらせてあげたい」と思えない時点で、やはり私は異性を性的に愛していないのだろう。」

 

 

この文章ほど、違和感を覚える文章はない。私が声を大にして言いたいことは、「挿入して射精すれば、男性が気持ち良い」という考えそのものが、一つの思い込みではないか、ということだ。

 

 

少なくとも私にとっては、挿入して射精することは、そもそも気持ちよくも何ともない。行為を完了させる任務の遂行である。

 

挿入して射精することが気持ち良いのなら、どうして、妻とセックスレスになる男性がいるのであろうか。女性から求められて断るはずがないだろう。

 

 

それでは性行為の楽しさとは何か。

 

TENGA広報の西野さんは、「ヨガは、ほぼほぼセックスだ」と言う。

 

セックスについての考えは、一人一人異なると思うが、私にとってのセックスとは、自分の体の感覚と対話し、その営みをパートナーと共有する。いわばパートナー・ヨガに近いような活動である。

 

また、人間としての関係欲が満たされる営みでもある。

 

 

私はヨガが好きだ。

 

ヨガの最中は、筋肉の緊張や呼吸、精神状態を自覚する。セックスでは、それらの感覚に加えて、性感や絶頂感という特有の感覚を伴う点が、ヨガと異なるだけだと思う。挿入という行為は、体が合体するという以上の意味はない。射精という任務が課された瞬間から、私にとっては苦痛の営みとなる。

 

 

このような価値観を、どれ位の男性が共有してくれるのかは分からない。しかし、性行為について、「挿入=男性が達すること」が終わるまで終わらない、男性メインの不自由さ、を感じている女性がいるとすれば、それは、言葉にしないうちに、男女の間で、性行為をそのようなものと決めつけてしまっているのではないかと思う。

 

そのことは、逆に男性にも不自由さを与え、夫婦のセックスレスの原因にもつながるのではないかと思う。

 

「ニャート」さんの「挿入は不要」という考えを否定するつもりはない。そもそも私自身、性行為に挿入が伴わなくても良いと思う。

 

しかし、それだけの理由で、異性を愛せないと決めつけるのは、早計ではないかと思うのだ。同性愛、異性愛の問題以前に、男女間でのコミュニケーションが不足しているのではないかだろうか。性行為について、男女がそれぞれに勝手な規範を当てはめて、そのような思い込みを野放しにしたまま、十分な対話を怠ることこそが本質的な問題ではなのではないかと思えるのだ。