男の性行動を分析する

男って何? 男の性行動を分析します

ことばは届く・・・

上野千鶴子は「〈おんな〉の思想」の中で書く。

 

「ことばは届く・・・たしかに。なぜなら、わたしのまえにいたこれらの人たちのことばが、わたしにたしかに届いたから。… 会ったことがない読者にも、見たことのないひとにも。そう信じなければ、どうしてことばを求め続けるという、苦労が多くて報われることの少ない孤独な作業に耐えられるだろうか。」

 

このブログを始めた私の気持ちを良く言い表している。おそらく、はてなブログを書いている人は、ほとんど同じ感情で書いているのではないかと思う。

 

そして上野千鶴子は続ける。

 

「わたしはひとりでおとなになったわけではない。そしてあなたも、同じだ。そのことを覚えておいてほしい。そして誰のおかげで自分がここにいるかを、ときどきは思い出してほしい。わたしを生命としてこの世に生み出したのは父と母だが、わたしの思想には、影響を受けた思想的な母や父、魂に届く言葉を伝えた姉や兄たちがいる。たとえこの世で一度もあったことがないとしても、彼女たち ー 女性が多いから、彼女たちと呼ぼう ー は、私の母や姉妹たちなのだ。」

 

専門の物書きでもない私が言うことはおこがましいが、本ブログにおける私にとっての兄と姉とは、森岡正博上野千鶴子であろうか。

 

10年前に森岡正博の「感じない男」を読んでから、10年間で、自分の中の「男性」について大きく考えが変わった。そして「感じない男」が現代の多くの問題の根底にあるのではないかと思う。つまり、結婚した男のセックスレス、自分勝手に射精して果てる男、性風俗からAVまで広がる性的幻想を追い求める男たち。

 

今、「男も感じる」ことに気づいて思うのは、上野千鶴子が言うように、社会的に作られた「性的な規範」に、いかに自分の考えが囚われているか。上野千鶴子が言うとおり、セックスとは、社会が作った規範と寝ているようなものだ。

 

しかし、男が感じることに気づいた途端、自分の周りの規範が、あまりにおかしいことに気づく。全て「感じない男」向けに作られている。自分はどうしたら良いか分からない。

 

この心理的な動揺。そして精神的な孤独とどうすれば付き合えるか。とりあえずブログで自分の思いを吐き出すしかなかった。そして自分が見ている世界を伝えるしかない。

 

10年前に上野千鶴子の「スカートの下の劇場」を読んだ時は、何を言っているのか全く分からなかった。今の理解は、10年後には新たな考えに取って変わられるのだろうか。

 

私の願いは、一人でも多くの男に、感じる喜びを知って欲しいと思う。そして男女両者が満たされるようなセックスが実現することである。これには男女どちらが主体になるわけでもなく、二人で真剣に取り組んでいくしかない。

 

上野千鶴子は言う。

 

「有史以前から、何万年も男と女はまぐわい、子をなしてきた。性と産という経験はあっても、その経験の思想家がなかったのだ。思想などなくても、ひとはセックスし、はらみ、産む。それを自然であり本能であると言い放つのは、思考停止と怠慢というしかない。」

 

哀しいことに、時間が経つとともに、自分にとって「男が感じる」ことは当たり前になってくる。社会との違和感が減ってくる。現実に適応してしまったのだろうか。精神は鈍化していく。ひとまずこの辺で考察を終えたほうが良いのかもしれない、、(ひとまずこのブログは終了させて頂きます)。